3日目 パリ
時差を無視し連日の長距離散策のため熟睡、昨夜のディナーは夢の中で。
朝まだ観光客が押し寄せる前のシャンゼリゼ大通りに向かうメトロ下車駅は、大通り中央George V(ジョルジュサンク)。通りに出ると、凱旋門が際立って大きく写ります。日曜日ということも有り人通りは殆どありません。ジョルジュサンク大通りとの交差点に老舗カフェ、Fouquet's(フーケッツ)の大きな赤いテントが存在感と重厚感を見せます。そのすぐ先、昨年7月日本の銀座三越百貨店にも開店した老舗Laduree(ラデュレ)の重厚な邸宅を思わせる2階で静かな朝食を摂りました。
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| Fouquet's フーケッツ | Laduree ラデュレ | 朝食 | |
Laduree ラデュレの歴史とサロン・ド・テ
1862年フランス南西部出身のルイ=エルネスト・ラデュレは、パリロワイヤル通り16番地にブランジュリー(パン屋)を開きました。当時マドレーヌ寺院界隈は、新興ビジネス街として栄え高級職人達もここを拠点にしていました。
1871年パリ改装計画の最中、火災のためブランジェリーはパティスリーへと生まれ変わり、その時に内装を手掛けたのが有名なポスター画家Jules Cheret(ジュール・シュレ)です。彼はシスティーナ礼拝堂や、オペラ・ガルニエなどの浮き彫りの技法を使い、天井に奥行きと立体感を出しました。その中の「パティシエ天使」はメゾンを代表するデザインで、パッケージや袋のロゴにも描かれています。
その後パリでは、上級階級の人々の待ち合わせ場所としてカフェが発達し、20世紀初めパリ万国博覧会を機にさらにパリに人が集まり、同時に女性の考え方も変わり、新しい人々との出会いを求めるようになります。
その頃パティスリー ラデュレでは、妻のジャンヌ・スーシャルが、カフェとパティスリーのジャンルをミックスし、パリ初のサロン・ド・テが誕生。そこは、女性たちが自由に利用できる場となりました。ジャンヌ・スーシャルは、フランス西部の都市ルーアンの有名ホテル経営者の娘だったそうです。
その後、2階のサロンを従弟のピエール・デフォンテーヌによりオープン。そして現在この店に魅了されたダヴィットオルデーとその父オルデーグループ創設者フランシス・オルデーにより1993年買収され、さらに大きくなってます。
この日訪れたシャンデリゼ店は、1997年秋にオープンしたお店です。
3日目 パリ~トゥール

昨日訪れたモンパルナスへ。モンパルナスは、再開発が進みパリには珍しい高層ビルも目に付きます。モンパルナス駅も外観はガラス貼りで一見近代的に見えますが、内部は以前の建物の構造体をそのままに、床はエスカレーターを通す為に切り取られていますが、ホームの屋根などはおそらくそのままでしょう。
12:25発Toure(トゥール)行きTGVに乗り込みます。パリの街を発つと間もなく、機内から見た牧草緑と菜の花の黄色が交互に広がる大地の連続。途中大粒の雨が窓を叩き、雨男としてはトゥールの天候を祈るばかりです。
約1時間後終点トゥール駅のホームに到着、雨は上がった!
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| トゥール駅 | ロワール河 |
残念ながら日曜日のためほとんどのお店のシャッターが閉まっているので、仕方なくロワール河を目指します。
悠々と流れる川岸には、老夫婦や犬を連れての散歩風景をベンチからほのぼのとした気持ちで見入ってしまいます。地図を頼りに少し川上の旧市街地へと足を運びます。石畳が続く路地を入って行くと、人通りも少し増え、木組の建物が連なり観光客で賑わうプリュムロー広場に出ます。中世の歴史を感じる町並みですが、観光地のためお店の内容は今一でした。
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| プリュムロー広場 |
川魚料理店を探すもなかなか見つからず、遅めの昼食は大通りに面した真っ赤なファサードのレストランで白ワインとシーフードとなりました。
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| 海の幸の盛り合わせ |
4日目 トゥール~シャンボール城~パリ
早朝、時に通勤の人の足音が響く路地裏の先、サン・ガシアン大聖堂(CATHEDRALE ST-GATIEN)のステンドグラスが朝日を浴びて姿を現しました。
そのすぐ近くの店L'ETABLE(レタブル)で、ロワール地方特有の川魚料理の昼食。店頭メニューボードの下にウサギが飼われてる家族経営の店。コンセプトは、店名通りL'ETABLE「家畜小屋」のようです。
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| L'ETABLE(レタブル) | ||
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| サン・ガシアン大聖堂 | ラタトゥーユと鱒と鯉?のクリーム煮 | |
トゥールからスペイン系チョイ悪オヤジ風運転手のタクシーで45分ほど、豊かな森と池と川に囲まれたシャンボール城が大地に座っていました。
シャンボールとは、ガリア語で「湾曲部の浅瀬」を意味します。当初12世紀ブロア伯が保有していた防御塔を引継いだルイ12世。そしてこの地を愛し後に王となった娘婿フランソワ・ダングレームは、主として王たちが狩猟のために集まる場所にとして、イタリア人建築家兼技師ドメニコ・ダ・コルトーネにゆだねました。
中庭から、まずダビンチが設計に関与したといわれる螺旋階段を一気に屋上へ。視界の先にはさらに空へ延びる濃紺円錐型の屋根。その爽快感は、永年に渡り作り上げた人々の力と、そこに生命を宿した人々の足跡を感じます。TGVのタイムリミットのため、全ての見学は不可能で心残りでしたが、次に訪れるであろうロワール地方に点在する他の古城やワイナリーへの期待を胸に、この地を後にしました。
サン ピエール デ コープ駅(ST PIERRE DES CORPS)からパリに戻り、先にイタリアに渡った三宅さんと合流。サンジェルマン大通りから路地に入ったアールヌーボー調のワインバーでロワールとイタリアの情報交換をしました。
次回、最終日までを掲載します。お楽しみに。















