お世話になった方々
香港でつらくなったら

甘さん(左)と
一緒に修行へ行った後輩二人
これは昭和52年に3人で香港へ行ったときの写真です。一番左が甘(カン)さんという方で、あと二人は当時一緒に行っていた人です。後ろの建物は彼のレストランが入っているホテルですが、今はもうこのホテルがありません。
カンさんは東京の中華料理店の歴史を知ってる人は皆知っているくらい有名な方です。この人は東京の留園(リュウエン)という大きなレストランの初代マネージャーで、私が銀座アスターにいた頃の専務とは知り合いだったんです。香港の人ですが日本語が大変上手でしたから、困ったらカンさんのところに行けよ、と言われるくらい。
それで日本語が恋しくなってカンさんのところに行くと、「どうしたの?」って。やさしい人ですから、「そこに座ってご飯でも食べて行きなさい」って言ってくれるんです。そのお店はものすごく大きなレストランでナイトクラブも兼ねていましたから、端っこの方でショーを見て帰りなさいって。中心に大きなホール、その回りに個室が並んでいました。キッチンもすごく大きくて、コックさんや厨房のスタッフが100人程いますからマイクを通して声が飛び交ってます。私ではお礼ができませんから、後で上司が香港へ来た時にお礼をしてもらっていたんですけどね。
またもぐりこんで・・・

龔(ゴン)さんに頂いた旗
香港で料理を教わってきたといいますが、実際は無給です。働きながら給料をもらって料理するなんてありませんでした。下働きしながら料理を教えてもらうのが一般的です。
敦煌というお店がネイザンロードの近くにありまして、そこに龔(ゴン)さんという方が総料理長をしておりました。敦煌酒楼は当時何店もある大きなグループでした。本当は敦煌集団の取締役会を開いて誰を入れるか決定するんですけど、「すみませんゴンさん、遊びに来ました」って言いながらトボケて一ヶ月ぐらい入り込んでましたね。ゴンさんの後ろを付いて歩いてる分には誰も何も言えませんから、豚を焼いてるところや厨房の様子の写真を撮ったり。もちろん、同じようにゴンさんが日本へ行ったり上司が香港に来たりすると必ず、お礼はしてもらうのですけどね。
ゴンさんとは銀座アスターを辞めてからもお世話になりまして、私が京樽で中華料理部門を興す際、ちょうど香港へ行ってた時にゴンさんがこの旗を作ってくれました。料理は色と味と香りがすべて、という意味です。
ほかにも、梁(リョウ)さんという方がおりまして、日本のテレビ番組で満漢全席を作った料理長ですが、その方のお店にも勝手に入り込みました。香港ではテイさんという方に通訳をしてもらっており、彼は京都大学を卒業し日本語が堪能で料理の知識もすごくありました。そのテイさんが、「まっさん(私の呼び名)、料理長紹介するから」ってリョウさんを紹介してくださいまして、香港に料理の勉強に来てると伝えると、たまには遊びに来いよって社交辞令を言ってくれますよね。私たちはそれを真に受けちゃってはじめの2、3回はテイさんと一緒に行くんです。後はトボケて入ってれば大丈夫だよってテイさんが言うもんですから・・・。大きな店だったんですがリョウさんが亡くなってからはありません。
修行の成果を・・・
こんなふうにいろいろなお店に入り込んだり修行したりした成果を、2週間に1回ずつ発表会を開いて評価してもらいます。マンションが会場なのですが、キッチンもリビングも広いんです。ガスもレストランの営業用と同じなので火力も排気もすごい。隣に住んでいた人は迷惑だったんじゃないでしょうか。お客さんはというと、身元引受人の方や初代銀座アスター社長の知人、ときには航空会社の極東支配人や新聞社の香港総局長など錚錚たる顔ぶれです。もちろん敦煌の料理長も来ます。リビングの真ん中に12人掛けの大きなテーブルがあり、そこで私たちの料理を良いだの悪いだの、これはこう直すべきだ・・・とやられるわけです。それを報告書にして東京に郵送。嘘が書けないんです、皆さん社長と親しいのでまじめに提出してるかどうか聞かれますから、しょうがないですよね真面目にやらないと。
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