料理の本場・・・香港へ
香港旅行
私が27歳の時に会社で香港旅行をしようという話がありました。第一回は昭和45年の11月だったと思います。時折お客様から聞いていた中国の話はあまり良いイメージではありませんでしたが、初めて香港に行ったときの感想は、「中国料理はすごい!」でしたね。5泊6日の旅行中、上司からの命令は「一週間寝るな」でした。寝るのは日本に帰ってからで、夜も勉強しろと言われました。当時の香港は一晩中、24時間どこでも店が開いてましたから、いろんなところ行って食べろって。朝、飲茶に行きテーブルごとに分かれて座りますよね、そうしたら蒸篭を重ねていく競走です。こっちのテーブルは蒸篭が50、60あるぞ、じゃあこっちは・・・競争ですから、それぐらい食べました。
第1回香港研修

最初の香港研修にて
そうして次の年、香港へ2ヶ月間の香港研修が言い渡されました。この研修が昭和47年、子供が生れたばかりの年ですから最初はどうしょうかなと思いましたが、同僚と二人で行ってきました。
当時の銀座アスターの社長の知り合いに、香港の食品会社の社長がいましたが、彼らに身元引受人になってもらい、香港で本格的に中国料理の研修をしよう、ということだったんですね。
香港の研修といっても、実際はレストランの厨房で下働きのようなものなんです。最初に働いたのは「ランプハウス(灯屋)」という店で、飲茶の勉強をしました。勉強といっても、技を見て盗むという感じですね。会社が借りてくれたアパートに住んで、朝4時に起きて4時半までにお店に入ります。夜明け前のまだ暗い中、香港では言葉もわからないのと怖いのとで、20分ほどの道のりを二人とも無言で真っ直ぐ歩いて通いました。
ランチタイムで仕事は終わりなので、午後1時半頃には帰ってきます。お昼ご飯を食べて、それから料理教室へ行きます。先生もみんな中国人なので言葉はわかりませんけどね。この香港研修では弥次喜多道中のような話がたくさんありますので、また思いつくまま書いていきましょう。
つらかったこと、そして支えたくれたもの
たった二ヶ月間ですが、日本人は二人だけだったので日本語が使えなかったことがつらかったです。「おはよう」「行こう」「飯食おう」「帰ろう」、せいぜいこのぐらいしか話さなくて。日本語をしゃべりたいという欲求不満になりましたね。週に一度、大きな店に食事に行っては日本人の旅行者を探して話しかけていました。初めて話しかけたのは近くのマクドナルドで、そこに40歳ぐらいの日本人がいたんです。聞いてみると、これから日本に帰るそうで、私達は来たばかりで早く帰りたかったのでうらやましく思いました。日本の農機具メーカーで働いていて、中国へは機械の使い方の指導で回っているようでした。何ヶ月ぶりかに日本に帰るんだと、たいへん嬉しそうに話ていたことが忘れられません。
私も子供がまだ生れたばかりでとても心配でした。しかし電話するといっても今みたいに簡単な時代ではありません。国際電話をかけるのに香港島の本局まで行かなければなりませんでした。スターフェリーで香港島へ渡り、電話局までは言葉がわからずタクシーにも乗れないので歩いて行き、本局で申し込みます。さらに繋がるまで30分から1時間くらい待たされて、やっと呼ばれて電話ボックスで話ができるんです。3分で30香港ドルくらいだったかな。一回電話すると、1800円から2000円くらい掛かりましたね。でもそうすると気持ちが落ち着くんです。嫁さんや子供はどうしてるかなといつも考えていましたから。また猛烈にプレッシャーもあり、落ち込むこともありましたが、その時思い浮かぶのは嫁さんの顔と子供の顔で・・・ああ、子供ってすごいんだなと何度も助けられましたね。
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